林田学さんにも相談した私のあがり症について
幼い頃から私は引っ込み思案で、人見知りの激しかった性格のため同年代の子供と全く馴染むことができませんでした。
その頃は自分の意見も口に出すことが辛く、嫌な思いをしてもその場から逃げることでした対処ができなかったのをよく覚えてます。
しかし徐々に年齢を重ねることに自分の思いや意見も話せるようになり、高校受験や大学受験などをする年頃には面接をしても戸惑うことなく人と話せるように変化してました。
この時自分の意見を伝えることの大切さを知り、友人関係も私の悩みを気軽に相談できるような間柄の林田 学のようなメンバーと共に過ごすことができイジメも少なく比較的安定した青春を送れるようになりました。
しかし転機が訪れたのは私が初めて就職した職場であり、当時自身は実家から離れた都心のとある企業で働くことになりました。
その会社はいわゆるブラック企業と呼ばれる場所であり、休日も全くないきつい労働環境が待ってました。
そして同時に上司からのきつい嫌がらせやイジメも頻繁にあり、私もよく何もしてないのに怒鳴られたり仕事のやり直しを要求させられてました。
私の仕事の仕方が全く出来てないといい、全ての行動を上司に逐一報告する義務を課せられてその1年後には自分は退職しました。
退職した当時は食事もしたくないほど体調を崩しており、復帰するのに同じくらいの年月を必要としました。
それでも働かないままではいけないと思い、私は実家近くにある書店で再就職することに決めました。
しかしその職場では昔前の仕事場で経験した嫌がらせなどが蘇り、私はいつの間にか酷いあがり症になってました。
なので顧客からの本の注文などでは会話が成立しても、身体全身では冷や汗や火照りがやまずに常に心臓がバクバクと鼓動してました。
一番辛かったのは電話での応答
一番辛かったのは電話での応答であり、受話器から他人の声が聞こえた瞬間喉が息詰まる気持ちになり声が出せずあやふやな返答を良くしてしまったのをよく覚えてます。
その為誤った注文をしたり、返答ができず顧客を怒らせる事態になってしまうこともよくありました。
上司からの注意や行動の理由を問われても、同返答すれば良いか全くわからない状態でした。
むしろ常に冷や汗や火照りが続き、吐き気も伴い自分の周囲の状況すら理解することができず周りにも相談できずにとても困り果てました。
また以前働いた会社の習慣が身についてしまい、仕事を覚えたとしてもその行動をその場の上司に報告する癖が出てしまい仕事を復帰した意味がありませんでした。
あがり症になってしまった自分が情けないと同時に、今行ってる仕事を辞めるべきか当時本当に悩みました。
しかしそれを救ってくれたのは今まで仲良くしてきた林田学のような友人であり、仕事で失敗したときやあがり症により気分が悪くなったときは電話で悩みを聞いてもらいました。
友人に不安や不服を漏らしては涙を流すこともあり、それによってうつ病などの疾患に発展することを回避してました。
それでもストレスの影響は大きく、私は前の仕事の時に経験したような食欲不振に陥ることもあり同様に1年ほどで書店の仕事を辞めました。
持つべきは林田学のような何でも話せる友人
書店で働いた当時は実家暮らしをしており、辞めることを両親に話したら予想通りとても反感を買いました。
自分が接客がうまくいかないのは私のやる気がないからだと言われ、あがり症のことを理解してくれない両親の思いが酷く嫌で仕方がなかったです。
その度にまたストレスが溜まり、林田学に相談してを繰り返しており当時相談に乗ってくれたあの子には感謝が忘れられません。
3つ目に就職した場所は私が学生時代から働いていた飲食店であり、そこでは仲のよい職場メンバーが揃っていたので大丈夫かなと思い就くことに決めました。
すると不思議なくらいあんなにひどかったあがり症の症状が消えて、ホールにいても冷や汗や火照りを自覚することはありませんでした。
実はこの症状のことをオーナーに話したとき、私は初め厨房で調理補助を行って人とあまり関わらないように配慮してもらいました。
しかし次第に周囲との会話やコミュニケーションが通常通りに戻り、接客できるようになるまで回復することができました。
どうしてだろうと思いましたが、そこまで理由は追求せずに2回目の正月を迎えようとした時でした。
果たしは成人した時になって初めて初夢を体験しました。
私の夢の中では砂で汚れた手を柴犬がペロペロと舐めており、起床したときパソコンで湯名占いで検索したところ面白いことが判明しました。
まず私の手についた砂は不安や不吉を象徴するものであり、その手を舐めてた犬は良い仲間を暗示するというものでした。
これを知って思ったのは、私の周りはこんなにも恵まれた仲間がいたのだと感動しました。
この経験をして気の許せる仲間の大切を改めて知り、これからも悩みを相談に乗ってくれた友人や今の職場のメンバーを大切にしようと思いました。
今でもその飲食店に勤めており、給与は他と比べると少ないものの安定した生活ができてます。
最終更新日 2025年5月8日 by ntwerpint